現在の八代城(松江城)
■本丸跡  
 現在残っている石垣は、松江城の本丸だったところです。本丸を囲む内堀の周りには、二之丸、三之丸、北之丸、出丸があり、その外堀はさらに外堀で囲まれていました。
 
 本丸には、大小の天守台と政治を行う大広間、城主の住む屋敷、能舞台などがありました。本丸へは、現在の市役所側からかかっている橋を通って渡りました。この橋の欄干(らんかん)についている擬宝珠(ぎぼし)の一つには、「元和八年二月吉日」の文字が刻まれています。これは、この城が完成したときの年号で、当時のものがそのまま残っている貴重なものです。
 
ほんまるてんしゅだいあとのいしがき
本丸天守台跡の石垣
ほんまるあとひがしがわのらんかんばし
本丸跡東側の欄干橋
らんかんばしのぎぼし
欄干橋の擬宝珠
■二之丸
 二の丸は現在の市役所から総合病院の辺りにありました。ここには諸役人の詰め所で政治的な事務所となった会所(かいしょ)、藩校の伝習堂(でんしゅうどう)、教衛場(きょうえいじょう)、作事所(さくじしょ)、馬屋などが置かれました。
 総合病院の南側に、二之丸の外堀の石垣跡がわずかに残っています。
にのまるいしがきあと
二之丸石垣跡
■三之丸
 三之丸は、本丸の南西部の部分で、重臣の屋敷と永御蔵(米蔵)が置かれました。永御蔵の建物(薬医門と番所)は、現在春光寺に移され、今もその姿を見ることができます。
 もとの場所には(「洋服の青山」が建っているところ)には、跡地を示す表示板があります。また、武道館と総合福祉センターの建物に、三之丸の外堀の石垣跡を示す表示板があります。
ながおくらごもんとばんしょ
永御蔵御門(薬医門)と番所
(春光寺に移築復元されている)
■北の丸
 北の丸は、城主の隠居所や一族の邸宅があったところで、現在松井神社が建っています。
 ここには、細川三斎の時代の茶庭がほぼ昔のまま残っていて、三斎が自ら植えたという臥龍梅(がりょうばい)が、今も美しい花を咲かせています。
 松井神社の裏に、北の丸の外堀の一部を見ることができます。

臥龍梅
まついじんじゃちゃてい
松井神社茶庭(北の丸跡)
きたのまるのそとぼりあと
北の丸の外堀跡
■出丸
 出丸は、代陽小学校と第一中学校がある場所です。一中の校庭の東南に、細川三斎が織田信長を供養するために建てた五輪の塔があります。
 これには「織田将軍去遊四九歳、天正十年六月二日」「寛永十年六月三日」「細川参議敬建」の文字が刻まれています。
 ここには、泰巌寺・泰勝院・宗雲寺の三寺があり、三斎が亡くなったとき、その遺体が火葬された場所でもあります。
おだのぶながくようとう
織田信長供養塔
■松浜軒
 肥後菖蒲で有名な松浜軒(しょうひんけん)は、元禄元年(1688)松井直之が母崇芳院のために別邸として建てたもので、池の形が「心」を表した茶庭となっています。
 当時、この場所は八代海が見渡せる浜辺であったことから、この名があります。正門に、大名長屋門のうち屋根なしの略式門(冠木門)、門の左右に入母屋作りの番所が残っています。
 庭の入り口にある建物(驥斎=きさい、馬屋の意味)では、松井文庫に伝来する文化財を展示しています。
しょうひんけんせいもんのかぶきもん
松浜軒正門の冠木門
しょうひんけんのひごしょうぶ 
松浜軒の肥後菖蒲
■武家屋敷
 侍たちが住む屋敷は、城の周りに置かれました。城下町の入り口や城へ通じる場所など特に重要な位置には、重臣の屋敷が置かれ、警備の役目も果たしました。
 現在、博物館の南側にある澤井家長屋門が、唯一当時の武家屋敷のたたずまいを伝えています。
さわいけながやもん
澤井家長屋門
■城下町
 松江城の東側から南側に、商人や職人たちの住む町屋が置かれました。現在の出町から通町、旧寿屋の東側を通って、本町アーケードに入り、肥後銀行八代支店の角を南に折れて、前川の「札の辻」に出るのが、江戸時代の幹線道路で、薩摩街道(さつまかいどう)と呼ばれていました。
 現在、妙見祭で笠鉾を出している町(宮之町、二之町、本町、中島町、紺屋町、徳淵町と淵原町、平河原町、塩屋町、新町(現通町)は、当時の町名で、城下町の繁栄と伝統を今に伝えています。
 町の姿は、すっかり変わってしまいましたが、城下町にあった寺はほとんど昔のままの場所にあります。
 浄信寺(じょうしんじ)と安養寺(あんにょうじ)は、加藤正方父母の菩提寺で、もとは麦島城下にあったものが、城の移転とともに移されたものです。
 本成寺(ほんじょうじ)は、加藤忠正(清正の息子)の菩提寺で、もと宮地村にあったものが、三斎のころ、城下町に移されました。
 この寺の門は、松江城本丸にあった高麗門(こうらいもん)が移されたもので、唯一残る松江城内の遺構です。
ほんじょうじこうらいもん
本成寺高麗門
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