特別展・企画展
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夏季特別展覧会
青の憧憬
−魂よ悲しすぎると思わないか−

大塚耕二 
1914−1945 展

平成13年7月18日(水)〜8月19日(日)
2階特別展ヲコ

  20世紀のはじめ、ヨーロッパに起こった前衛的な美術の潮流―フォービズム(野獣派)、キュビズム(立体派)、ダダ、未来派、構成主義、抽象主義、シュールレアリスム(超現実主義)など―は、早速日本にも流入し、若い「画家たちを刺激した。
 大塚耕二が画学生として過ごした1930年代は、日本における前衛美術がようやく萌芽を見せ始めた時代で、個性的な絵画グループがいくつも結成され、新しい表現手段が模索された。しかし、それらの動きはまもなく戦時体制の暗雲の中へと呑み込まれていった。
 大塚も、さまざまな手法を旺盛に吸収して、その画風を展開させ、幻想的でしかしどこかひりひりとした渇望感の漂う作品を遺す。シュールレアリスムの本来の目的は、想像力の解放と合理主義への反逆、人間自体の自由と変革への希求であるが、大塚の作品は、鬱屈した時代からの単なる現実逃避ではなく、絵画における新たな希望を生み出しえているのか。短い生涯に遺された作品は少ないが確かめたいことである。出品点数36点。

 「人生の目的は未だ不可解である。自分が生きていることは事実であり、この眼が開いていることも因縁である。親に孝養を尽すべきは申すまでもないこと。私は生涯をつくして絵画の途を貫こう。それが何のためであろうと知ったことではない。狂執でも何でもいい。人生なんてそう大したものではないことはすでに解った。地球よ、退屈はしないか。光よ、疲れないか。魂よ、悲しすぎると思わないか」                
―――昭和19年3・3日の日記より
●大塚耕二年譜●
大正 3年(1914) 菊池郡隈府町(現菊地市)に生まれる。この年、第一次世界大戦勃発。
           文展洋画部二科から独立して二科会結成。
昭和 5年(1930) この年、二科会より分裂して独立美術協会結成。
昭和 8年(1933) 県立鹿本中学校卒業。この年、日本は国際連盟脱退。
           ドイツではヒトラー餝A任。
昭和 9年(1934) 帝国美術学校(現武蔵野美術大学)西洋画科入学。
昭和10年(1935) 学生仲間と絵画グループ「表現」を結成。
昭和11年(1936) 「表現」展に発表した《丘》を来日中のジャン・コクトーが称賛。
           この年、二・二六事件。
昭和12年(1937) 第4回表現展及び第7回独立展に《トリリート》を出品。
           この年、盧溝橋事件勃発、日中戦争へ発展。
昭和13年(1938) 第8回独立展に《窓の女》を出品。
昭和14年(1939) 帝国美術学校卒業。第9回独立展に《厨房》を出品。
           美術文化協会の創立に同人として参加する。
           この年、第二次世界大戦始まる。
昭和15年(1940) 熊本千徳デパートで個展を開催。美術文化協会第1回展に《鳥と太陽》《自転車》を出品。
           超現実主義告l瀧口修造に「造形詩人」と評される。
           紀元2600年展に《山》《二輪車のある海景》を出品。
昭和16年(1941) 美術文化第2回展に《山》《丘》を出品。10月応召、西部21部隊(熊本野砲隊)に入隊。
           この年、ハワイ真珠湾攻撃、太平洋戦争始まる。
           瀧口修造、福沢一郎、超現実主義者は国際共産主義者という嫌疑で検挙、拘留される。 
昭和17年(1942) 満州ハイラルに派遣。
昭和19年(1944) フィリピンに派遣。
昭和20年(1945) ルソン島プログ山にて戦死。日本敗戦。
■主催:八代市立博物館未来の森ミュージアム

こども講座
「好きな色ぬってみよう
−あぶらえ・たいけん−」

と き
平成13年7月22日 13:00〜

実施記録
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