番号 |
48 |
作者名 |
狩野信象(養長) |
作者名フリガナ |
カノウシンショウ(オサナガ) |
生没年 |
1815〜1875 |
作品名 |
犬追物図絵巻 |
作品名フリガナ |
イヌオウモノズエマキ |
制作年 |
天保5年(1834) |
品質・技法・形状 |
紙本著色・巻子装 |
法量 |
天地57.2 |
作家・作品解説 |
犬追物は、騎射の練習として、平安時代末ごろから行われるようになりました。ルールは、四十間(72メートル)四方の馬場の中央に大縄・小縄とよぶ二重の円を設け、小縄の中に犬をひきすえる。12騎の射手が大縄の外で待機。放たれた犬が大縄を越える間際に射るというもの。矢には、犬を殺傷しないよう、鏑(かぶら)がつけられました。本図には、大縄を越えようとする犬に矢が放たれる場面が描かれています。 犬追物は、戦国時代に一時は廃れましたが、江戸時代前期の正保3年(1646)に島津氏によって復興され、熊本藩主の細川家でも天明年間(1781〜89)に再興されました。寛政10年(1798)に託麻郡田迎(現在の熊本市田迎町)に設けられた稽古場では、熊本藩士による犬追物が毎月3回行われていました。 本図を描いたのは、熊本藩主細川家の御用絵師狩野養長。養長は、江戸で狩野養信(おさのぶ)に師事して、伝統的な狩野派の技法を学びました。やまと絵を得意とし、絵巻や古画の模写を多く制作しています。本作は、福田太華の下図をもとに描いたものです。 |
数量 |
1巻 |
出品・受賞暦 |
2023名品選 2020年10月「知られざる肥後の絵師」展出品 |
備考 |
館蔵品目録(一)P14−37 替文「いにしへの言に物のふ(もののふ=武士)の業と云ける/は弓馬也、其わさに歩なると騎なると有て/各式あり、その中に流鎬馬笠掛犬追物是を/馬上の三物といふ、その中に犬追物は式大にして/弓の射やう馬の乗さま何くれと有多かり/こゝに我/大君(藩主)の古の全式を見給はしむとして近く仕奉る/人々に仰せられて故実を正し、新にこれを図に/画かしめ給ふ、今は仕を致せれど榔橋の士は/はや如此わさを伝て数年研窮たる、老人/なる故に内々これを奉り、福田川象(太華)はかかる/事に心を得て、はた筆をあやなすことも/ことにすく(優)れたれば相はかりて、三手の式より/はしめて検見の様躰射手の進退且矢代を/ふり御酒を賜るさまゝまてまのあたりみるやうに/書写させて奉れりけるを今其下図のあるを/以てつゆたかへす画工狩野信象(養長)に写させて/長く久しく続の家の二なき寳とふみ(文)蔵に/ふかく納めらるゝもの也/天保五年十二月/長瀬真幸/同 六年十一月続氏の需によりて/村井貞弘書」 |
分類名 |
美術:近代以前:絵画 |