【趣 旨】
わが国で磁器の焼成がはじまったのは1610年代、有田地方でのこと。これに遅れることわずかに40年、肥後は天草で磁器の生産がはじまります。内田皿山焼(天草郡苓北町)、下津深江焼内山窯(天草市天草町)、楠浦焼(天草市楠浦町)で、東南アジア向の輸出用染付磁器が焼かれています。磁器の原料となった天草陶石は品質の優秀さで全国に知られ、やがて日本磁器史を支えてゆくことになります。
18世紀後半になると、長与焼(長崎県西彼杵郡長与町)の技術を導入して高浜焼(天草市天草町)が興されます。高浜焼では染付のほかに色絵の作品が焼かれ、オランダ向に輸出されたこともありました。18世紀末、高浜焼の技術導入により開かれた肥後細川藩窯である網田焼(宇土市)は白磁や染付の精品を焼き、全国的に高い評価を受けました。
19世紀〜近代にかけては肥後各地に磁器窯が開かれています。霊符焼(八代市)や天草の諸窯は、高浜焼の人と技術に大きな影響を受けたものと考えられます。肥前の技術導入により菊地・山鹿にも窯が開かれ、人吉・球磨では白磁を模した半磁器質の製品が焼かれています。また、本来は陶器窯であった八代焼(高田焼・八代市)では、当時の文人趣味をうけて白高田とよばれる精緻で端正な磁器がはじめられ、今日にいたるまで焼き続けられています。
本展覧会では、江戸時代前期から近代にかけて、肥後各地に盛衰した磁器の歴史と系譜について、多数の初公開資料により、はじめて光を当てるものです。
【主な展示作品】 出品リスト
天草:内田皿山焼、下津深江焼内山窯、楠浦焼、下津深江焼京ノ峰窯、高浜焼、御領皿焼、一町田焼、小田床焼、栖本焼、水の平焼、古久玉焼 宇土:網田焼 菊池・山鹿:鳳儀焼、内田チャワン山焼 八代:八代焼(白高田)、霊符焼、吉田窯 人吉・球磨:一勝地焼、上村焼
【主催】
八代市立博物館未来の森ミュージアム・熊本日日新聞社
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