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春季特別展覧会
日本文化の真髄をとらえた写真家
土門拳の古寺巡礼
2012年4月20日(金)〜6月3日(日)
【主催】八代市立博物館未来の森ミュージアム
【特別協力】財団法人土門拳記念館
【企画協力】クレヴィス
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広隆寺 弥勒菩薩半跏像左半面相(昭和18年頃)
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三十三間堂内陣 雷神像面相(昭和49年)
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法隆寺遠望(幸前より)(昭和37年)
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日本写真史の巨人・土門拳、八代に登場!
ドキュメント、人物、古美術、建築、風景、そのいずれにも忘れ難い作品を残し、日本の写真史に巨歩を記した土門拳(1909〜1990)。なかでもライフワークとなった「古寺巡礼」は、1939年の暮れに室生寺を訪ねたことからはじまりました。奈良県の山間にひっそりと建つこの寺は、平安時代初期の木彫仏の宝庫であり、土門はそのたたずまいに魅了されます。以後、北は平泉の中尊寺から南は九州臼杵の石仏にいたるまで、仏像撮影の行脚を続けることとなりました。鋭い眼差しで被写体を凝視し、自らが惹かれたものだけを撮り続けた独自の視点は、仏像の手や足、口元など細部をクローズアップした写真に、象徴的に表われています。二度の脳出血により車椅子での撮影を余儀なくされても、強い信念で写真を撮り続けた不屈の写真家・土門拳。日本を愛した土門拳が撮影した永遠の名作「古寺巡礼」から、大型作品を含む90余点で、その魅力に迫ります。
土門拳プロフィール
1909年、山形県酒田市に生まれる。東京の宮内幸太郎写真場で修業後、日本工房に入社。1939年頃、美術史家・水澤澄夫の案内ではじめて奈良・室生寺を訪れ、平安初期の木彫仏に興味をもつ。戦後はフリーになり、1950年代にはリアリズム理論を展開。1959年、脳出血で倒れ、35ミリカメラの操作が困難になると、大型カメラによるライフワーク「古寺巡礼」の撮影を開始。この成果は13年間で全五集を刊行した『古寺巡礼』に結実する。1968年、再び脳出血で倒れるが、撮影に復帰。1979年、脳血栓で倒れ、11年の昏睡状態を経て、1990年、80歳にて永眠。
―土門拳のことば―
『古寺巡礼』
ぼくは『古寺巡礼』全五集を、ぼくの分身として、また「ひとりの日本人の、みずからの出自する民俗と文化への再認識の書として、愛惜の書として」世に残すことができた。日本人たる写真家として、その使命を全うできたぼくは、仕合せものである。
※『古寺巡礼』五集「まえがき」より 昭和50年

法隆寺西院中門列柱(昭和35年) |
仏像を撮るには
仏像の良さを捉えようとする時、じーっと見ていると、胸をついてくるあるものがある。それを両手で抱えて、そのものを丸ごと端的に表すことを心がけることが必要だ。…造形物であるからといって、形に捉われては駄目だ。仏像の精神をまっとうに追求することが必要なのである。
※『フォトアート』昭和49年4月号より

法隆寺 観音菩薩立像(百済観音)左手(昭和16、17年頃) |
僕の好きな仏像
中宮寺菩薩半跏像は一木で造られて、頬にあてられている右手の細くたおやかな指作はいろっぽく、官能的といえるほどしなやかな表現を与えている。ぼくはこの観音像ぐらい、女、それもゆたかな母性を感じさせる仏像を他に知らない。指先のみならず目は、あるときは深い物思いに沈むように見え、またあるときはやさしくほほえみかけるように見える。半跏の右足部はゆったりと左足の腿にのせられ衣文はやわらかくできている。中宮寺菩薩の一番の魅力はやわらかくゆったりとしていることにあろう。飛鳥時代にこのゆったりとおおらかな仏様を持ったということは我々日本人の一番の誇りであろう。
※「わが仏像十選」『文藝春秋』臨時増刊・昭和47年より

中宮寺 観音菩薩半跏像面相(昭和18年) |
■休館日 |
4/23(月) 5/1(火)・7(月)・14(月)・21(月)・28(月) |
■開館時間 |
9:00〜17:00(入館は16:30まで) |
■入館料 |
一般 500円(400円) 高大生 300円(240円)
*( )内は20名以上の団体(2割引) *中学生以下は無料
*5月5日(土・祝)「こどもの日」は無料開館
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会期中の催し物
博物館講義室にて 聴講無料 申込不要(展覧会観覧には入館料が必要です)
■特別講演会
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【1】 4月20日(金)13:30〜15:00
「土門拳と古寺巡礼」
講師 藤森 武 氏(日本写真家協会会員、財団法人土門拳記念館理事・学芸員)
【2】 5月13日(日)13:30〜15:00
「九州の古寺巡礼」
講師 石原 浩(八代市立博物館未来の森ミュージアム学芸員)
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