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八代市の文化財
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第2常設展示室

松井文庫概略
 松井家は、戦国時代末期に松井康之が細川藤孝(幽斎)に従って戦功をたて、藤孝の養女を妻として所領を給されて以後、代々細川家に仕えました。
 細川家の転封ごとに丹後国(現京都府)久美浜城、豊後国(現大分県)木付城(現在の杵築)などの重要な城郭を守り、細川家一門と同格の重臣の扱いを受けました。細川氏が加藤氏改易後の肥後を領し、八代に入った細川忠興の死後、正保3年(1646)八代城は松井(長岡)興長にゆだねられ、以後松井家は10代、220年にわたって八代城にあって、八代城下町とその周辺地域を支配する「八代の殿様」となりました。
 同家は3万石の知行地を与えられて細川藩世襲3家老家の筆頭の地位にありました。また康之の功績により、山城国(現京都府)相楽郡神童寺村に160石、同愛宕郡八瀬村に13石余り(のち和泉国尾井村に所替)の知行地を与えられ、徳川将軍と自家の代替わりごとに江戸に参勤するという特殊な家柄で、家老としても藩政に重要な役割を果たしました。
 細川家とともに文化芸能に秀でた家柄で、初代康之は千利休の高弟で茶道に造詣が深く、以降代々現在に至るまで肥後古流の茶道や金春流の能を伝えています。また興長以来、球磨川河口一帯に30数ヶ所、約1300町歩の干拓新田を開発しました。現在の松井邸は国指定名勝「松浜軒」として知られています。
 
松井家略系図
松井康之―興長=寄之―直之―寿之―豊之―営之―徴之=督之―章之―盈之―敏之

=明之―祥之―葵之(現当主)
 財団法人松井文庫
 松井家伝来の古文書並びに絵画書跡・陶磁器・武器武具・能関係品等の美術工芸品を保存・公開するとともに、これらに関する調査研究を行い、文化財の保護を図り、もって文化の発展に寄与するため昭和59年2月21日設立。同年6月博物館相当施設指定、翌60年登録博物館認可。
 事務局・展示施設は松浜軒内(八代市北の丸3−15)にあり、年間を通じ常設展示を行っています。
 松浜軒の南向かいに位置する八代市立博物館では、展示の一角を松井文庫常設展示コーナーとして年間5〜7期の展示替によりその所蔵品を紹介しています。


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