松井家の江戸参府
江戸時代、肥後藩筆頭家老として2代目興長(おきなが・1582〜1661)以降、代々八代城を預かった松井家は、藩から与えられた3万石の知行地のほかに、幕府から山城国(京都府)と和泉国(大阪府)に173石余りの知行地を与えられていました。
これは、松井家初代康之(やすゆき・1550〜1612)が織田信長から拝領したもので、天正13年(1585)康之の日頃の軍功を賞した豊臣秀吉は康之の領地(山城国相楽郡神童子村)を安堵するとともに、康之の母春洞院に13石(山城国愛宕郡八瀬村)を与えました。
この二つの領地は、徳川家康によっても安堵され、松井家は代々徳川将軍家より173石の領地をあたえられることになったのです。そのため、松井家では世代交代(家督相続)が許されると、御礼として江戸に参府し、将軍に御挨拶(御目見という)することが慣わしでした。将軍が代替りしたときも同様です。御目見には、現代的にいえば雇用確認のための顔合わせといった意味があったからです。
一国の家老でありながら、将軍御目見を許される家格を持っていたことが、松井家の大きな特色であり、代々の江戸参府によって、八代へもたらされた情報や文物は、この地の文化形成に少なからず影響を与えたものと思われます。
なお、宝永7年(1710)山城国八瀬村は、和泉国泉郡尾井村に所替されました。
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江戸までの風景
松井家10代目の章之(てるゆき・1813〜87)は、安政3年(1856)44歳のとき、13代将軍徳川家定に御目見するため、江戸に参府しました。このとき、章之は肥後藩の御用絵師杉谷雪樵(1827〜95)を同行して、道中の名所や景色のよいところを描かせました。それが、全12巻118図の場面からなる「道中風景図巻」です。八代から江戸まで、およそ317里余り(1268km)の道のりを順にたどるように描かれたこの図巻は、松井章之の記念すべき江戸参府の記録としての役割を果たしているとともに、変化に富んだ構図と美しい色彩で、当時の旅の様子を生きいきと伝えてくれます。
この中には、江戸参府の理由である幕府からの知行地も描かれています。生涯のうち2〜3度の江戸参府にあたり、これらの知行地を視察してくることも大事な用件の一つでした。
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章之の参府日記 >>参府日程
この「道中風景図巻」をいっそう興味深いものにしているのが、章之が道中の出来事や見聞きしたことを記した、または供の者に記させた「参府日記」の存在です。それにより、章之の一行が何時どこを通過し、何を見たか、どんな天気だったか、何を食べたか、どんなことが印象に残ったか、出会った女性の年恰好はどうであったか・・・などを知ることができます。また、その内容は、この図巻とも一致します。そこからうかがえるのは、街道筋の美しい風景を眺め、他国の城下町の様子を観察し、神社仏閣に参詣し、名物を食べたり、土産を買い求めたりして、長い旅を存分に楽しみ、味わっている様子です。
日記を読みながら、図巻を見ていくと、約150年前の日本を、まるで実際に旅しているような気分です。
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道中風景図巻 >>場面一覧
杉谷雪樵(1827〜95)筆 全12巻 ・{著色 巻子装 江戸時代末期(19世紀中頃)
縦32.9〜33.2p 長さ1029.5〜1810.4p 松井文庫所蔵
八代から江戸日本橋までの道中の風景を、全12巻118図にわたって描いたもので、作者の杉谷雪樵(1827〜95)は、肥後藩御用絵師の一派、矢野派の画系につらなる絵師で、幕末から明治時代中期にかけて活躍した人物。熊本における最後のお抱え絵師、または熊本の近代日本画の先駆者とも評されています。
この図巻は、雪樵は29歳のとき(安政3年=1856)、肥後藩筆頭家老である松井家10代章之(てるゆき・1813〜87)の江戸参府に随行した際、書き留めた道中の名所や景勝地などの下図をもとに、約10年の歳月をかけて、慶応2年(1866)頃完成させたものです。
透視図法や濃淡・ぼかしを用いた遠近表現、おそらく北斎や広重の風景版画を参考にしたと思われる大胆な構図など、雪樵の意欲的な制作姿勢がうかがわれる作品です。
章之の参府日記には、「ここはとても眺めがよく、富士山も見えるので、市太郎(=杉谷雪樵)に写すように申し付けた」(=要約、10月19日・富士見平にて)という具体的な記述も見られます。
図巻を見ていくと、しばしば行列を組んだ一行が、街道を通る様子が描きこまれています。これが章之の一行そのものではないかと思われます。日記とともに、道中の様子をまるで実際の映像を見るように記録したこの図巻は、松井章之江戸参府の記念的作品ともなっています。
参考:『杉谷雪樵―熊本藩最後のお抱え絵師―』展図録 平成12年 熊本県立美術館発行
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お断り:この図巻ならびに参府日記は非常に興味深い作品・史料ですが、まだ活字化・図版化されておりません。いずれ何とかしたいと思いますが今のところ予算がありません。閲覧等のご希望はご相談ください。(学芸員 山崎)
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