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八代市の文化財
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第1常設展示室


染韋(そめかわ)

現在は展示しておりません
@ 八代染韋ってなに?
 韋(訓よみ かわ、音よみ い)という字は、めったに使わないむずかしい漢字です。この字は、動物の毛皮から、きれいに毛を取ってしまい、さらに柔らかに加工したものを指します。染韋(そめかわ)は、そのやらかい韋に、型などを使って美しい文様(もんよう)を染め出したものです。
 八代染韋は、鹿の毛皮から作った白くてやわらかい韋に、同じく鹿の皮から作った固い型革(かたがわ)を使って、文様を染めたものです。染めには、茶や紅の染料(せんりょう)が、使われています。図がらは、仏教で広く信仰された不動明王(ふどうみょうおう)、獅子(しし・ライオン)と牡丹(ぼたん)の花を染めたものなどがあります。
 八代染韋には、御免革(ごめんがわ)という別の呼び名があり、この名前の方が、全国的にはよく知られているようです。「御免」とは、今から650年ほど昔、南北朝時代(なんぼくちょうじだい)に、八代を訪れた天皇の皇子(おうじ)が、特別に商売を許した染韋であるという伝説が込められています。

鎧(よろい)の胴にはられた八代染韋  
江戸時代後期(19世紀)
▲不動明王の文様のある天平韋で、胴の形にあわせて加工してある。
A いつころから作られたの?
 八代での染韋作りが、いつのころからはじまったか、はっきりとしたことはわかりません。が、室町時代後期(16世紀はじめ)の記録には、当時、八代を治めていた大名の相良家(さがらけ)が、九州で大きな勢力をほこった豊後(大分県)の大友家(おおともけ)やその家臣、中央の足利幕府(あしかがばくふ)関係者に、染韋を贈ったことが記されています。
B どんな種類があるの?
 八代染韋のうち、不動明王が染められたものと、文様の一部に「天平(てんぴょう)十二年八月日」とあるものは天平韋(てんぴょうがわ)、「正平(しょうへい)六年六月一日」とあるものは正平韋(しょうへいがわ)と、区別して呼ばれます。天平は奈良時代の年号(729〜749)、正平は南北朝時代の年号(1346〜1369)ですが、その時代に作られた作品であることを意味しているわけではありません。
 小紋韋(こもんがわ)だけは、型革ではなく4種類ほどの型紙を使って、赤、茶、黄、青といった色で、細かな文様を染めたものです。

天平韋型革
江戸時代末期ころ(19世紀)
▲かたい革に細かな文様がほられている。革製の型は、全国的にめずらしい。

おなじく天平韋の型革
江戸時代末期ころ(19世紀)
←上は、不動明王の文様を、左は「天平」の年号をほっている。
上・下の型で一組になる。


正平韋
江戸時代末期ころ(19世紀)

正平韋型革
江戸時代末期ころ(19世紀)
▲4枚の型革を使って染めた正平韋。これを、適当な大きさに切って使用する。 ▲正平韋の型革。中央部に「正平」の年号が見える。

小紋韋
江戸時代(19世紀)
←地の文様を茶、花びらを赤、葉を青の染料で染め出している。小紋韋は、型革ではなく、和紙をはり重ね、渋をひいた複数の型紙を使用している。
C 八代染韋は何に使ったの?
 ふつう、染韋は、手袋(てぶくろ)や足袋(たび)、羽織(はおり)や袴(はかま)といった衣類などの材料に使われています。やわらかな手ざわりと、ながもちする特性、独特のオシャレ感覚が好まれたようです。
 八代染韋は、武士の鎧(よろい)や兜(かぶと)の飾りに用いられました。とくに、不動明王の文様のあるものは、鎧の胴の正面にはられています。ほかには、馬具(ばぐ、馬に乗るときの道具)の飾りや、火打ち石入れの袋に使われたものが残っています。
D 肥後の特産物、八代染韋
 江戸時代、各地の大名は、月ごとに定められた特産物を幕府へ献上(けんじょう、プレゼントすること)する決まりになっていました。肥後細川藩(ひごほそかわはん)の7月の献上物には「八代染革(韋) 1箱5枚」と記録されています。
 江戸時代の肥後の特産物を記録した本には、かならず、「八代染韋」「御免革」の名が記されています。武具について書かれた本にも、その名はかならず見られ、全国的によく知られた肥後八代の特産物だったことがわかります。
E 幻の八代染韋
 八代染韋は、武士が用いる武具の飾りに用いられました。また、藩が幕府などへ献上する特別な肥後の産物でもあり、庶民の生活に深く関わった品物ではありませんでした。そのため、武士の時代が終わり明治時代になると、やがて作られなくなり、幻の存在となっていったようです。
 染韋作りは、たいへんな手間と技術の必要な仕事です。江戸時代から明治時代ころまでは、日本の各地で、いろんな染韋が作られていたようですが、現在、産業として残っているのは、山梨県の甲州印伝(こうしゅういんでん)など、ごくわずかになっています。
八代染韋 展示解説シート(pdf)
染韋については、当館で発行した「さまざまなる意匠―染韋の美」展覧会図録(1冊1500円)があります。

ご希望の方は、こちらをご覧ください。


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